| 1966年(昭和41年)8月26日 |
広島県福山市生まれ |
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2500g、助産院で誕生。今では考えられないくらい小ちゃかった。両親が教職員であったため、生後3ヶ月で日中は祖母宅へ。祖母に育てられたのかと思いきや、実際には、祖母宅から更に、祖母の知人宅に預けられていた。とても可愛がってもらったが、この頃から、愛情に飢えていた!? |
| 1979年(昭和54年)3月 |
甲山町立宇津戸小学校卒業 |
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保育園児の頃、その昔、ひいおじいちゃんが村長をしていた本籍地である宇津戸村へ。中国山地にほど近い、まさに中山間地の田舎まち。1クラス17人の理想的な少人数学級!?児童会長もやりました。 |
| 1982年(昭和57年)3月 |
広島大学附属福山中学校卒業 |
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入試に、この頃はまだ二次試験として「くじ」があり、一次試験を、なんとかパス。運良く「くじ」にも大当たり!!田舎者が精鋭の中に飛び込みました。川端康成に読みふけりました。 |
| 1985年(昭和60年)3月 |
広島大学附属福山高等学校卒業 |
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私たちの頃は、有数の進学校。私は完全に落ちこぼれ。でも、良き仲間の中で、充実した学生生活でした。教育実習に訪れる先輩たちとの交流は、かけがえのない思い出です。 |
| 1986年(昭和61年)4月 |
明治薬科大学薬学部入学 |
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「とにかく手に職を」との母の薦めで薬学部に進学することになりました。三軒茶屋キャンパス。学外にも沢山の友人ができました。ENJOY! |
| 1992年(平成4年)3月 |
明治薬科大学薬学部卒業 |
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途中、作詞家の道を目指したこともありましたが、デビューに至らず。紆余曲折の末、なんとか薬剤師国家試験にこぎつけました。国試前の1ヶ月は、1日20時間、勉強していました。これほど勉強したのは、後にも先にもありません。 |
| 1992年(平成4年)4月〜6月 |
東京大学医学部附属病院分院研修 |
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真面目な病院内では、少々浮いた存在でしたが、調剤ノウハウをしっかりと勉強させていただきました。 |
| 1992年(平成4年)7月 |
新赤坂クリニック入職 |
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いきなり調剤の一手を担う新米の私に対して、院長先生が初めにおっしゃった一言は、「とにかく極量(1日の最大量)に気をつけろ」でした。院長先生をはじめ、各分野の専門医の先生方のご指導のもと、大変な勉強をさせていただきました。 |
| 1996年(平成8年)3月 |
退職 |
| 1996年(平成8年)4月 |
住商リテイルストアーズ株式会社入社 |
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国の方向性が、医薬分業にシフト。院外処方のノウハウを身に付けさせていただきました。 |
| 1998年(平成10年)7月 |
退職 |
| 1999年(平成11年)5月 |
民主党衆議院議員候補者公募に合格 |
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介護の実態を勉強するうちに、超高齢化社会を目前に控えた日本の現状に危機感を覚え、偶然、民主党の候補者公募の新聞記事に目がとまりました。課題であった「3分間のスピーチ原稿」に思わず応募。医療介護への危惧を一気に書きあげました。結果、想定外の合格。 |
| 1999年(平成11年)8月 |
株式会社メネフィット入社 |
| 1999年(平成11年)8月 |
ケアマネジャー認定試験合格 |
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街かど薬局でケアマネジャーに奮闘。ご高齢のお母様をひとり家に残さなければならないサラリーマンのご苦労を目の当たりにし、公的サービスの重要性を学びました。利用者の家族の生活の中に入り込むケアマネジャーの仕事の任務の重さに、日々、身の引きしまる思いでした。 |
| 1999年(平成11年)7月〜9月 |
民主党本部主催「女性のための政治大学」受講 |
| 2000年(平成12年)5月31日 |
株式会社メネフィット退社 |
| 2000年(平成12年)6月2日 |
民主党衆議院岡山県第5区公認 |
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総選挙直前に候補者がいなくなった岡山5区に、落下傘で出馬することを要請され、介護保険制度の矛盾を目の当たりにしていたこともあり、立候補を決意しました。 |
| 2000年(平成12年)6月25日 |
衆議院岡山県第5区で57368票で次点 |
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わずか23日間の選挙戦。何がなんだかわからないうちに終わってしまったという感じでした。しかし、投票日翌日の朝、地元の駅前に立ち、「堅い板に力をこめて穴をあけていく」覚悟を決めました。 |
| 2003年(平成15年)11月9日 |
衆議院岡山県第5区で69908票で次点
(惜敗率67.1%で中国ブロック次点) |
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落下傘で見ず知らずの土地に降り立った私にとって、3年半の活動は、かけがえのない時間でした。二度とできるものではありません。それだけに、選挙後、公認を保留にされたことは、リカバーできないほどの大変なショックでした。 |
| 2004年(平成16年)7月 |
参議院静岡選挙区 海野とおる候補応援 |
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自分以外の候補の応援は、本当に勉強になります。善戦するも惜敗。静岡の環境の良さに驚きました。毎日、霊峰富士を仰げることには、感動しました。 |
| 2005年(平成17年)9月 |
衆議院鹿児島第1区 川内博史候補応援 |
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郵政旋風に惑わされた選挙でした。利便性が失われる離島の方々との語らい、忘れません。モーターボートをぶっ飛ばしての外洋の船旅は、五臓六腑がひっくり返るほどでした。比例復活。 |
| 2007年(平成19年)4月 |
静岡市長選挙 海野とおる候補応援 |
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市民ボランティア選挙に徹し、143,539票を獲得するも、わずか1,303票差で惜敗してしまいました。痛恨の極みです。 |
| 現在 |
認定薬剤師・ケアマネージャーとして活動 |
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本来、議員はボランティアであるべきです。薬剤師・ケアマネジャーとしての自立なくして、政治を語ることができないと思いました。全国の選挙の応援をしながら、薬剤師としても政治家の卵としても、ブラッシュアップできました。 |
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